コストについて考える
生きやすくするための制約条件は何かと突き詰めて考えていくと、時間的制約と金銭的な制約なのかと思うようになりました。
つまりコストということですね。
究極的には、これは時間の問題と考えていい。
金銭と時間は交換可能ですから。
生活の質を上げるには快適な時間を増やすか、不快な時間を減らすか、もしくはその両方をやればいい。これが今まで考えてきたことの結論です。
コストを減らせば、幸福度は上がる
不快な時間の多くは、金銭で解決できるはずです。
例えば、今、私は働く事に疲れを感じていている。なぜ働くかというと生活しなければならないからです。
短時間で必要とする金銭を得られれば、不快な時間は減らせる。
もしくは、必要とする金銭を少なくできればいい。
可処分時間が増える事が結局のところ幸福度を上げるとするのであれば、コストを下げる方法を増やす方が、収入を時間当たり増やすよりいいのではないかと。
時間当たりの収入を増やす事がそもそも難しいこともありますが、コストを下げられれば、そもそも収入を増やす必要性がなくなる可能性があるからです。
若いときは時間あたりの収入を増やすことが楽だった。学ぶことが楽だったからでしょうし、衰えていく今の自分とは条件が違う。歳を取ると生きることの難易度は跳ね上がります…
コストとは結局時間を使うもの
コストは、時間を使うものと考えればいい。
金銭と時間は交換可能なわけですから。
とは言え、最後は死ぬわけですから時間の方が貴重なのは間違いない。
コストを時間と考えるといろいろなものが整理できます。
不快という状態を減らす必要があるというのも、時間という物差しを導入すればコストと考えられますもんね。
そして、不快な状態から、通常の状態に戻るまでに時間がかかるわけですし。
不快であれば、その分時間当たりの生産性は落ちる。これはコストを増大させると考えると問題を単純化できそうです。
不快な時間が長いということは、幸福度の面でも当然マイナスですしね。
物が多いのもコスト
そう考えると、物が多いのもコストですね。
管理のために考える事が増える。考えることが増えるということは時間がかかるということですもんね。
財でなくても、サービスでも多いのはコスト。
アプリでも複数持っているとアップデートや動作確認のためにコストが掛かります。そのトラブル解消でどれくらい時間を使ってきたか…
そして物理的に物が多ければ、掃除にかかる時間もコストかかりますよね。
不要なものはとにかく捨てているんですけど、使わないものに対して場所を使って、その分家賃やローンを払ってるのはコストと考えていいかと。
コストを減らす時に何を基準にするか
- 金銭を減らす
- 時間を減らす
- 場所を減らす
- 考えることを減らす
時間を減らすということでまとめても良いんですが、それだとパッと気づかない事が自分の場合あるのでこれを基準にして運用します。
この4つのどれかに当てはまるかを考えていく。マニュアル作る事は、自動化。
つまり時間を減らす事と考えることを減らす事だから、意味があると思ってます。
持ち物に関しては、できるだけ持ち運べる。軽いというのを基準にしてます。ここもまた記事にして整理したほうがいいですね…
コストを減らすが意味がない場合
時間がかかっても金銭的コストを減らすというのは基本的には採用しない。
その分労働に充てていたら、コスト削減より効果が大きいなら意味がないからですね。
どういうものか。
10円安くするために1時間掛けて買い物していたら意味がないですよね。もちろん、金銭的コストを減らすのがトータルとしてコストを増やすものであっても、自分が満足できるなら問題ないですけど、私はそうではない。
そのため、自分の時給を考えて、コストを減らす方法を考えます。
自動化はそういう意味でも大事だなと。
ですが、これも二通り考えておく必要がありそうです。
資産という概念を導入する
例えば、ブログを書くことなんか、短期間の収益で考えたら割にあわないわけです。
書く時間を労働に充てたらその分金銭が得られることを考えたら、ブログを書くことはコストでしかない。
でも、このブログは自分マニュアル。自分が調べたことをまとめておけば、今後調べ直す時間を減らせる。コストを減らせるから意味がある。
自分にとっては将来に価値をもたらすものですね。
今こういろいろ苦しい状況になっているかというと、短期の利益を追うことをせざるを得なくなったからです。
長期的な利益を生み出すのが資産なわけですが、コストを減らすのも手元に残る利益を増やすという意味では資産と考えてもいいのではないかと思いました。
幸福のプライマリーバランスは快適な時間と不快な時間の和をコントロールすることと考えるなら、長期的にコストを減らすものは資産と考えていいのではないかと。
まとめ
結局の所、好きなものが多ければ多いほど、生きるのは楽になる。
コストであるどうかって、結局の所、価値観ですもんね。
私にとって、コストでしかないものであっても、それが快適な時間である人がいるのはわかっている。
快適な時間を多くするには、好きなことが多ければ多いほどずっと楽なんですよね。
取れる選択肢が多い。あー、もういろいろダメな気がしますね…
ラッセルが好きなんですけど、これ書くまで、自分の中でこれだけラッセルに影響受けているとは思わなくてびっくりしました。
いやあ、こんなにプラグラマティックなアプローチばっかりで、ラッセル先生すみません…
客観性というか、外部への関心を持たない興味は、いずれ不幸になるというのは、10代のときにはなんじゃそれって思ったんですけど、たしかにそうなんですよね。
熱中できる何かを持ちつつ、コストを下げるっていうことが若くもない自分でできることなのかと思います。
めちゃくちゃ難しいことなんですけど、ラッセルから学んだのは不屈の精神でもあります。
地道にやっていきます。
とりあえずコストをさげる基準は明確になったので思考の節約になるはずです…
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